早口言葉

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ラインスタンプ【音速のカニReturns】振り返り(11〜20)

前回に引き続きそれぞれのスタンプについてのポイントを綴っていく。40個もスタンプがあるので思い入れにもムラが出るということは言うまでもないが、それでも一生懸命に無いポイントを絞り出した。

11.それもうなくなったよ

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音速のカニはどうやら宇宙や星と相性が良いようだ。今回になって、ペイントツールの機能をかなり使いこなせるようになった。レイヤー数も前回と比べると2倍以上になっている。その分、1つのスタンプにかかる時間も大幅に増えた。「それもうなくなったよ」という文言は日常生活でもよく使うのではなかろうか。スタンプ化されたことでより手軽に人との約束をキャンセルしやすくなった。

12.懐かしい

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適当に描いた線を絵に昇華させた。音速のカニが何かに跨っている絵はこれまでも多く登場したが、今回はロッキングに跨らせた。小さい子が遊ぶおもちゃということで、「懐かしい」という文言を添えた。

13.話題を変えます

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これは私がのっぴきならない事情で風情のある絵を描いた時のものである。持っているのは竹トンボだが、明らかに飛ばす気のない持ち方である。LINE上ではなかなか言いづらい「話題を変えます」をスタンプにした。グループラインで是非使ってほしい。

14.またタピオカ?

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流行りのタピオカのスタンプ。ストローにしがみついている音速のカニが非常に可愛らしい。女からタピオカの写真を送りつけられた時に使うと良いだろう。

15,16.これなに?

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一見使いどころのわからないスタンプだが、これにもちゃんとした使い道がある。ここでは2つの使い道を紹介しよう。1つはLINEの機能であるリプライ。もう1つはLINE上で写真の加工をする時。見たことのない虫を撮影した時や相手が送った写真でわからないものがあった時に使うと良いだろう。

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↑使い方の例

17.ネガキャンサー

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ネガキャンとキャンサー(蟹座)を掛けた。今までの中でも特にお気に入りのスタンプである。黒背景の人はより綺麗に見えるだろう。ちなみに音速のソニックは6月23日生まれの蟹座である。

18.二度書き禁止

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待望のお習字スタンプである。筆を上手く再現できた。私がまだ小さい頃に通っていたお習字教室で耳にタコができるほど言われた「二度書き禁止」、間違えた時に送信取り消しをするような人にはこのスタンプをぶつけてしまおう。

19.LOVE

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今までの音速のカニには無かったLOVEのスタンプ。照れ隠しなのかカニがEの文字を隠している。オシャレ部門では1位のスタンプではないだろうか。シンプルかつスタイリッシュでくどすぎない。我ながらいいスタンプに仕上がったと思う。

20.世界観で誤魔化すな

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頭に地球を載せた音速のカニ。【運が悪すぎるたけし君の最近あった良いこととは】という大喜利のお題に対して「失くしていた遠視怪獣カミフブキの右笑窪を見つけた」のような答えを出す、奇を衒うことにしか能のない奴にお見舞いするなど、使い道もなかなか多いスタンプである。

ラインスタンプ【音速のカニReturns】振り返り(1〜10)

前回のスタンプ発売から約1年の時を経て満を辞して発表した【音速のカニReturns】、このブログではそれぞれのスタンプのポイントや製作秘話を綴る。

1.蟹光線

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言うまでもないが、小林多喜二の小説『蟹工船』をもじったものである。私がスタンプを作る時は基本的に絵を描いてから言葉を考えるのだが、このスタンプは珍しく言葉から絵を描いた。光線の絵は描いたことがなかったが、思いの外上手く描けた。

2.年の瀬なのに?

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左右対称の絵が描いてみたかった。こだわったポイントは眉毛である。理想的な形になるまで何度も描き直した。ダルマということでお腹にある目(なのかどうかはわからないが)は、1番最後に入れた。

3,目に余る

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単純に目玉が描きたかった。目にまつわる私が普段よく使っている言葉として「目に余る」を採用したのだが、これでは「目に余る」ではなく「目が余る」である。後になって「お目が高い」や「目上だぞ」などにしておけば良かったと後悔している。

4.またその話?

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今となっては数が少なくなった縁取りの無い絵である。カニの下にある物は、特に何かを描こうとしたわけではないが、結果的にナンに近い見た目になった。しかしこれはあくまでもナンではない、ナンに見えるナンならざる物なのだ。なので決して「ナンの話?」にすれば良かったナンて思っていない。

5.あんぐり

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音速のカニには口がない(正確には口は見えていないだけで、カペレと呼ばれる触角のあたりにあるのだが)。この「口がない」というのは実はキャラクターの絵を描くということにおいてとてもめんどくさい。通常キャラクターの表情を表現する時は目と口を使う。笑っている時は目を細めて口角を上げるなど、目と口の形を変化させることで表情や感情を表す。しかし、音速のカニには口もなければ目蓋もない、したがってこのキャラクターに表情を持たすのはかなり難しいのだ。このスタンプでカニが元気よく開いている「口」は本物ではなく口を模したマスクのような物である。音速のカニの本当の口を見られる時は来るのだろうか……

6.寿司以外ならなんでもいいよ

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寿司に扮した音速のカニ。目の部分がわさびに見える。今回のスタンプは影の付いた絵が前回より大幅に増えた。初めに出したスタンプと比べると、絵が上達していることが分かる。夜ご飯などを決める時、「なんでもいいよ」とつい言ってしまいがちだが、そんな時にこのスタンプを送ることで、多少なりとも議論に参加したことになる。前回のスタンプ【音速のカニと仲間たち】にある「洋食がいい」と併せて使ってほしい。

7.花言葉次第

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インターネットで花の描き方を見て、いてもたってもいられなくなって描いた絵である。今回のスタンプの中でも特に気に入っている絵の1つだ。この花はモデルがあるわけではなく私が作った架空の花で、名前は「モグスサンダリア」で花言葉は「貴方の好きにすれば良い」ということになっている。ちなみに、「モグスサンダリア」というのはヒンディー語で「魅惑の麗人」という意味である。

8.解散だよ

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これまた左右対称の絵である。「私がほしいベースのデザイン」というコンセプトで描いた。我ながら光沢の感じがうまく表現できたと思う。バンド内での喧嘩に使ってほしい。

9.ないよりはマシ

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アフロがようやくまともに描けるようになった。頭にアフロが乗っているだけのシンプルなデザインだが、これもまた、お気に入りの1つである。「ないよりはマシ」という言葉は私の口癖で、自分で使うために作ったスタンプと言っても過言ではないだろう。音速のカニ史上最も可愛いスタンプなので、女の子に使ってもらいたい。

10.ワカラナイ

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これは私が映画「トゥモローランド」を観た直後に描いた絵だ。(トゥモローランドの感想を書き連ねるボケをしようとしたが、感想だけで500文字以上になってしまったので割愛する)イメージとしてはナビゲートロボットのような感じである。ロボット特有の無機質さをうまく表現できた。今回のスタンプの中でも群を抜いて汎用性の高いスタンプではなかろうか。文字がたくさんあるスタンプというのもなかなか珍しいのでウケも良いに違いない。

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ぼくのおもいで

僕が高校3年間で1番思い出に残っていることは、国際体験学習だ。

国外への旅行を通じてこれまでに触れたことのない文化や風習に触れることで教養を深め、日本という我々の母国を見つめ直すことが、この国際体験学習の目的であった。

我々が旅行に求めることというのは、普段の生活ではできないような体験、つまり、非日常的な体験である。我々が赴いたシンガポールとマレーシアは、その欲求を十分に満たしてくれた。マーライオンなどの観光地は言うまでもないが、道や店、路傍に生えた雑草でさえ、日本での生活に慣れきった僕にとっては新鮮であり、刺激的であった。

現地の大学生と会話をすることがあった。英語力に不安のある僕に対し、我々のガイドとなった彼女は、日常会話をするには申し分ない日本語を会得していたため、それに甘んじて会話のほとんどを日本語で行った。日本語で話しているとはいえ、相手は外国人であり、価値観やこれまでの経験などには大きな相違があるので、どんなに些細な話も刺激的で印象に残っている。それは彼女にとっても同じであったに違いない。

残念だったことは、今回訪れた国の、ごく一部しか垣間見ることができなかったということだ。バスによって決められた場所に移動し、時間になれば再びバスに乗って次の目的地へ向かう。この繰り返しに僕は、まるで映画でも観ているかのように、情報を一方的に押し付けられているような感覚に陥った。我々が宿泊したのは、おそらくシンガポールでトップクラスのホテルのかなり高い階層の部屋であった。窓からはいま自分がいる場所一帯を一望に収めることができた。どの方角を見ても高い建物が立ち並び、僕の都会のイメージのそのままであった。僕はこの景色がどこまでも続くと無条件に信じてしまっていた。路地裏の様相が目に入った時、僕は落胆した。僕はこの国の表面しか見ていなかったのだ。

厳冬、そして春…

肌に突き刺さるような鋭い寒風が、葉を落とした木々の間を吹き抜ける。城の門は依然として閉ざされており、表情のない二人の兵士が、門の前で睨みを利かせている。

 

鬱々とした雑木林の景色はいつからか、青々とした草原に変わっていた。路傍の花も蕾をつけて、春を今かと待ち望んでいる。

 

 

私が今夜見る初夢のハイライト集

ファンキーな柄を纏ったフンコロガシが持ってきたものは、婚姻届の落とし物だった。

私の前に立っている速水もこみちの手には、オリーブオイルではなく、ピストルが握られていた。

金色のシュワルツェネッガー像の右手首をひねると、本棚が動き、地下へと続く階段が現れた。

空から降り注ぐ不思議な光を見てからの記憶がない。ここはどこだろう。あたりを見渡すと、どうやら外ではない。私が寝ている質素なベットを除けば、何もない部屋である。

ゲームマスターから石で出来たサイコロが2つ手渡された。自分以外のプレイヤーには3つのサイコロが渡されている。

謎を解く鍵はあぶり出しだった。持っている紙の切れ端をストーブに近づけると、文字が浮き出てきた。「セイレイシテイトシハゼンブデ20」

泳げないたい焼きはこしあんに違いないと吐き捨てたチームメイトは、そのままAの部屋へと消えていった。

キリンの国にも皇帝はいるらしい。このパレードが終わったら会いにいってみよう。

茄子で体が構成されている鷹が富士山に向かって飛んでいく絵が描かれた扇をGACKTに差し出したところ、お付きの座頭が吸っていた煙草の火が激しく燃え盛り、無数のウィルオウィスプとなって我々に襲いかかってきた。

日本人と鬼退治

日本の昔話は、外国のそれと違ってどこか間抜けである。桃太郎は桃から生まれるし、三匹の動物を連れて海を渡るというのも、英雄にしては間抜けすぎはしないだろうか。しかしこれは、日常から切り離された超常的な英雄譚ではなく、我々の生活に根ざしたものであるとも言える。桃太郎や一寸法師などの昔話で度々悪役として登場するのが鬼である。日本の昔話における鬼は、悪魔などの二元論的な悪ではなく、単に「怖い存在」や「災いをもたらす存在」であった。これは日本の宗教観が影響している。キリスト教などの一神教は、しばしば、天使と悪魔といったような善悪二元論に陥る。それに対して日本は八百万の神から見て取れるように、自然崇拝を基調とした多神教である。このような日本人の曖昧な宗教観が、鬼のような漠然とした存在を生み出すのだ。鬼を退治した桃太郎は超人的な能力を持っていたわけではなく、鬼も西洋のドラゴンのように火を吹いたり、空を飛んだりすることができるわけではない。言うなれば人間の戦によく似たものなのだ。鬼や桃太郎がこれほど人間らしく描かれているところからも、昔話が我々人間にとって身近な存在であったことがわかる。哲学者のニーチェが「神は死んだ」と言う言葉を残したように、科学の発展によって神だけでなく、鬼やその他妖怪なども、同様に死を遂げた。しかし、鬼退治に代表される日本人の勧善懲悪の感覚は、今なお、我々の心の中に残り続けているだろう。