今日の500文字〜禁忌を破ってでも〜

作者がどんな人であろうと作品が良ければその作品は評価するべき。という立場を今までは取っていた。本当にそうなのだろうか。

 例えば素晴らしい音楽を作った人が過去に人殺しをしていたとする。その作曲家が人を殺した時のことを思い出しながら作ってたのだとしたら、作られた曲は「人を殺さないと作れない曲」ということになる。フォアグラの作られ方が度々非難されているが、これも人の道を外れることで得られるものと言えるだろう。そうした非人道の上に成り立っているものを賞賛するということは非人道的な行いを容認するということになりかねないのではないか。

 だが、それらのものを全て否定するということも違うと考える。確かに総合評価では0点になるかもしれない、しかしある評価基準では高得点を獲得していることも確かなのだ。例えばフォアグラは味や食感などでは高得点を獲得しているだろう。高得点の部分は高得点の部分で評価しても許されるのではないか。

 いつかドーピングが解禁されたオリンピックも見てみたいと思っている人も少なくはないはずだ。半分ロボットのような人間が100メートルを3秒で走っても、それはそれですごいことなのである。