日本人と鬼退治

日本の昔話は、外国のそれと違ってどこか間抜けである。桃太郎は桃から生まれるし、三匹の動物を連れて海を渡るというのも、英雄にしては間抜けすぎはしないだろうか。しかしこれは、日常から切り離された超常的な英雄譚ではなく、我々の生活に根ざしたものであるとも言える。桃太郎や一寸法師などの昔話で度々悪役として登場するのが鬼である。日本の昔話における鬼は、悪魔などの二元論的な悪ではなく、単に「怖い存在」や「災いをもたらす存在」であった。これは日本の宗教観が影響している。キリスト教などの一神教は、しばしば、天使と悪魔といったような善悪二元論に陥る。それに対して日本は八百万の神から見て取れるように、自然崇拝を基調とした多神教である。このような日本人の曖昧な宗教観が、鬼のような漠然とした存在を生み出すのだ。鬼を退治した桃太郎は超人的な能力を持っていたわけではなく、鬼も西洋のドラゴンのように火を吹いたり、空を飛んだりすることができるわけではない。言うなれば人間の戦によく似たものなのだ。鬼や桃太郎がこれほど人間らしく描かれているところからも、昔話が我々人間にとって身近な存在であったことがわかる。哲学者のニーチェが「神は死んだ」と言う言葉を残したように、科学の発展によって神だけでなく、鬼やその他妖怪なども、同様に死を遂げた。しかし、鬼退治に代表される日本人の勧善懲悪の感覚は、今なお、我々の心の中に残り続けているだろう。